石黒皮膚科クリニック

かゆみのわかるお医者さん

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充和会杯


「丸尾杯」から「充和会杯」へ

小生の恩師である、丸尾 充先生がお亡くなりになり、2001年9月22日ユアーズホテルフクイにて丸尾 充先生を偲ぶ会を催しました。丸尾先生のお人柄が偲ばれる172名もの方々が集まって下さり、スライドの写真を上映しながら想い出を語り合いました。翌923日は福井では珍しい晴天に恵まれ、追悼テニス大会が催されました。これが第1回丸尾杯の始まりです。全国から丸尾先生のテニス仲間が総勢64名 も集まり、福井県勢と県外勢に分かれ、対抗戦を行いました。県外勢には世界医師テニス大会優勝者もおられましたが、仁愛女子テニス部の活躍で県内勢が勝利 しました。小生の母から「これよりはテニス三昧星飛ばせ」との俳句を差し上げたところ、真理子先生に大変喜んで頂きました。

2002年9月23日第2回丸尾杯が開催されました。試合はすべてセルフジャッジによる1セットマッチ6ゲー ムオールタイブレーク方式で行い、取得ゲーム数を得点とし合計点の多い者から順位をつける個人戦としたところ、体力のある試合数をこなしたものが有利とな り、男性では見事、丸尾先生のご子息の陽介君が優勝しました。女子は仁愛女子高の山下恵美ちゃんが優勝しました。参加人数も昨年を上回り89名となり、丸尾先生の主治医をして頂いた県立病院の高瀬恵一郎先生も参加されました。

2003914日第3回丸尾杯が行われました。その年は福井医科大学が福井大学と合併するため、福井医科大学硬式庭球部としては最後の丸尾杯になるため、里見裕之先生の発案で記念のTシャツを作成しました。Forever Michiru Maruo & Fukui Medical School , Maruo Cup 2003とプリントした間にテニスラケットをクロスした絵柄が挿入されました。試合はフレンドチームと福井医大チームに分かれ、対交戦を行いましたが、フレンドチームは強豪が多く、12-8でフレンドチームが勝利を収めました。

福井豪雨のあった(我が家は床下浸水)2004年は1010日 に第4回丸尾杯を開催しました。この年は丸尾先生の仲人をされた恩師の岩瀬先生ご夫妻がご高齢にも関わらず、参加して頂き、真理子先生も感激され、岩瀬先 生ご夫妻も大変喜ばれたのが昨日のことのように思い出されます。台風が日本列島を通過していましたが、丸尾先生の天からのご加護でテニスコートだけは奇跡 的に晴れました。集合写真はカメラの上手な佐々木一夫先生にお願いしました(佐々木先生が写真に入れないので恐縮しましたが)。いつも女子連の方々にはお にぎりやパン、ドリンクや果物などのご協力を頂き、感謝しています(堂田さんには猫嫌いにも関わらず、丸尾ご夫妻が溺愛されていたチャの面倒までみて頂き、厚く御礼申し上げます)。福井医大チームをチームトラストと名付け、チームフレンドシップとの対交戦を行いましたが、強豪の仁愛女子がチームフレンドシップに加わったこともあり、17-9でフレンドシップチームが優勝しました。

2005年は918日に第5回丸尾杯を開催しました。この年は5回目の記念大会であるため、プロのカメラマンのマイク・ヨコハマさんにお願いして、一人一人のベストショットを収録したDVDを 作成しました。クリニックの受付さんの今村さん、小川ちゃんがキュートなバルーンアートを作ってくれ、とても嬉しかったのですが、丸尾杯にお手伝いにきて くれたクリニックのスタッフの多田さん、今村さんが立て続けに結婚退職をしたので、丸尾杯にお手伝いに来ると結婚するというジンクスがあり、ちょっと不安 でした。

6回丸尾杯は2006108日に開催しました。途中、驟雨もありましたが、奇跡的に6年連続、天候にも恵まれ、試合を中断することなく大会を行えたのも丸尾 充先生が見守っていてくださったからだと思います。その年は青森の千葉喜代志先生や、福岡から福井チナミ先生などの遠方からの初参加の方も加わり、総勢135名もの参加者があり盛会となりましたが、対交戦はやはりチームフレンドシップが強く24-8で 圧勝しました。昨年、ちょっと不安になったスタッフの小川ちゃんはジンクス通り、めでたく結婚しましたが、仕事を続けてくれることとなりホッとしました。 例年通り、丸尾杯の準備に奔走してくれるテニス部の後輩達の慰労を込めてリライムで丸尾杯の打ち上げを行いました。その年は小川ちゃんの友人達も丸尾杯の お手伝いに駆けつけてくれたので招待したのもあって、大人数となり、毎年、小生の考えた体育会系のゲームをするのですが、素直な子達ばかりで若いパワーを もらい、真理子先生も大いに楽しんでおられました(やはり楽しいイベントがあると笑って免疫力がアップして治療効果が上がるのだと思いました)。

7回丸尾杯は2007107日に開催しました。真理子先生はつらい化学療法にも耐えられ(皆さんと一緒に生きていきたいので頑張りたいとおっしゃった時には涙が止まりませんでした)、その週も立つのがやっとの状態であったにも関わらず、丸尾杯の前夜祭では皆さんと楽しく食事を摂られ、丸 尾杯の当日には奇跡的に立っておられるだけでなく、走りまわっておられました。それだけ丸尾杯には熱い想いを抱かれていたのだと思います。この多くの人達 の温かい心で支えられている素敵な大会である「丸尾杯」の「和」の灯火を永遠に続けたいと真理子先生が亡くなられてから、さらに強く決意しました。

真理子先生が亡くなられて、思いも掛けない辛い想いを沢山しましたが、丸尾ご夫妻のご子息の陽介君の協力を得て、2008112日に第8回 丸尾杯を開催しました。陽介君が下手糞の小生とペアを組んで、真理子先生の大親友の魚住さん(マー姉ちゃん)と堂田さんと対戦しました。小生が足を引っ張 り負けてしまいましたが、忘れられない思い出になりました。その後、マー姉ちゃんがアキレス腱を切ってしまい、試合に参加していた後輩の整形外科医の佐藤 先生に医大の救急部に搬送してもらい、治療していただきました。この時はこの大会には各科の医者が揃っていて良かったと安堵しましたが、マー姉ちゃんには 申し訳なかったです。

2009年からは「丸尾杯」から「充和会杯」と名称を変えて行うことになりました。充和会という名称は丸尾 充先生の「充」と小生に石黒和守の「和」からとった名称であり、文字通り、名称は変わっても、その熱い気持ちに変わりはありません。20091018日に第1回充和会杯を行いました。陽介君が各選手の実力を考慮して(笑)、組み合わせ表を作成してくれたお陰で楽しい大会になりました。名称が変わり参加人数も心配でしたが、全国から100名以上の参加者があり感激しました。

「継続は力なり」の格言の如く、皆さんの温かいハートで支えられているこの素敵な大会を続けていければ、この上なく嬉しい限りです。